暗闇に足を踏み入れたのは他でもない私だった
Lies and Truth : 00
「出てって」
そんな冷淡な声色と表情で実の母親に捨てられた。
でもそれはもう何年も前のこと。
まだ論理的な事柄が全くと言える程解らなかった幼い私にとってその意味を深く取るような真似はしなかった。
ただ何か悪いことをしてしまったのだと幼いながらに反省しながら家の扉を開けて、暗くなりかけていた外へと踏み出した。
そして母親に良く連れて行ってもらった公園のブランコにずっと腰掛けていた。
―――――いつになったら帰って来て良いのだろうか
―――――いつになったらお母さんの機嫌は直るのだろうか
いつしか寒く、暗くなってきた公園に人影はなくなっていた。
たった独り。
この広い公園に小さな私だけが存在している。
そう思うとどうしても母親のいる家へと帰りたくて、怒られてもいいからと足早にその場を離れた。
暗くて何度も何もない所で転んで、それでも早く帰りたくて。
足を引きずりながらも出来る限りの速さで走った。
やっと辿り着いた、唯一自分の家と呼べるその家に灯りは灯されてなかった。
「・・・お母、さん」
控え目にコンコンッと軽快な音のなる玄関を叩いてみても、駆け寄ってくる足音も鍵を開けようとする鬱陶しい金属の音もしない。
しん、と辺りの静寂と交わるように音のない時間が過ぎた。
何で?どうして?
そんな母親を責める言葉しか頭の中には浮かばなくて、どうにかして違う方へと持って行こうとした。
もしかしたら夕食の買い出しに行くのを忘れて買いに行っているのかも知れない。
もしかしたら誰かに呼ばれてただ少し留守にしてるだけかも知れない。
もしかしたら私を探しに出掛けてしまったのかも知れない。
自分に言い聞かせるようにそう考え直すと、玄関の真ん前にズルリと座り込んだ。
出て行く前に見ていた夕方のニュースで確か今日は満月だって言っていた。
先月は見えなかったので今月は見えると良いですね、って。
あまり見たことのない女性アナウンサーが笑顔を浮かべて心にも思っていないであろう言葉を並べていく。
そして今、そのアナウンサーを否定するかのようにどす黒い雲が空一面を覆っている。
私は彼女を嘲笑うかのように薄い笑みを浮かべた。
眩しい太陽光を体いっぱいに浴びながら目を開けた。
いつの間に寝てしまったのだろう。
戸口の硬く冷えたタイルは確実に私の体温を奪っていた。
今の自分の症状は考えるまでもなく、風邪。
くすぶる鼻を抑え回りを見回してみると、人影が幾つか植木越しに見えた。
もう人々が活動する時間帯なのだろうか。
時計を持っていないせいか曖昧な答えしか頭に浮かばなかった。
ゴミ捨てに行く人や犬の散歩で歩いている人。
高校に行くであろう学生に―――――ただその辺にいる人と喋っているおばさん方。
その輪の中に隣のおばさんが入っていたので好奇心から何の話かと耳を澄ませた。
「さん、出て行ったらしいわね。ちゃん置いて」
「無責任よね。あの子愛人との間に出来た子なんでしょう?」
「ちゃんも可哀想に」
―――――あんな母親を持って。
思わず着ていた洋服を握り締めた。
もうそれ以上その人達の会話を聴こうとも思えず、聴こえないよう俯いた。
私は『置いて』いかれたんだ。
その事実をまだ受け止められなくて思考回路も心も全て停止した気がした。
今の私には「何故」と問い掛ける人もいなければ頼れる人もいない。
信頼出来る人だってたった今失ったばかりだ。
「・・・お母さん」
コツン、ともう開かれることのない扉に頭を預けると涙が頬に流れた。
それを拭おうともせず流れるままにしていると、何時しか日は昇り温もりを私に届けてくれていた。
そのお陰で頬に涙の筋を残したまま涙はゆっくりと枯れていった。
捨てられた私にとって此処はもう居場所じゃない。
此処に留まっては居られない。
重い腰をふらつく足で支え、どこか違う場所を探しに真昼の街をさまよった。
そんな私に恵みをくれたのは青空だった。
真っ青な空からポツリポツリと滴が落ちて来たと思ったらすぐに土砂降り。
どこかに雨宿りしざるを得ない状況になってしまった。
目に留まったのはある1つの公園。
ドーム型の遊戯に身を潜めておくことに決めた。
今からどうすれば良いのかなんて解らない。
どう生きていけば良いのか。
どう食い償って行けば良いのか。
―――――全てが未知の世界だった。
そんな私に手を伸ばしてくれたのはあなただった。
傘を片手にドームを不思議そうに覗き込んでいた幼いあなたは私に優しい口調で一言。
『出ておいでよ』
その一言が私の背中を押してくれた。
その時からあなたは私の恩人であり、なくてはならない存在となった。
いつしか空からの涙は降り止み、空には輝く丸い月が姿を現した。
まるで私の心のように。